業績一覧の書き方があんまりひどかったので、書き換えてみた。
某書類からコピペしていったのだが、「ああ、ここも」「ああ、ああ」と頭を抱えながらコピペした。
番号の振り方が変だとか(統一性はあるのだが、そうじゃないという)、何月か書きそびれていたりとか。
せっかく恩師に指摘していただいたのに・・・うぅぅ。
何よりも今日は「最終的に封筒に入れて渡さなかった、非常識なワタクシ」で、自ら掘った穴に入って体育座りでじっとしていたい。
]]>日本アフリカ学会学会誌『アフリカ研究』97号上にて、ふくだぺろ氏に拙著への書評をいただきました。どうもありがとうございました。某格安イタリアン・ファミレスで、限られた時間、(自宅に現役27インチ大画面があったにもかかわらず)ノートPCの小さな画面を凝視しながら仕上げた苦しかった日々が、いまでは懐かしく思い出されます。出版されてから、やっと落ち着いたというところで同ファミレスにお礼参りのつもりで行ったところ、カラの建物となっており、中は薄暗く、しばらくしてからそこは更地になりました。箱はなくなっても、思いはなくなりません。苦しかったと書いたけれど、たいていは「興奮してきたな」という感じで分析・執筆を進めていました。だから、懐かしく思い出されるのです。
]]>かなり前に見つけて直してくださいとお願いしたのに、直す気配がない。
https://book.asahi.com/sanyatsu/AD/intro/ADTLM20180414211.html
]]>2019年3月発行 『文化人類学』83(4)にて、日本医療大学の林美枝子氏に書評していただきました。失礼ながら存じ上げなかった方ですが評していただき、心より御礼申し上げます。
まさか2号連続で、しかも違う観点でありながらかつ拙著の議論に寄り添って評していただき、とても嬉しくありがたい限りです。
お三方それぞれ異なるご関心・ご研究領域ということで、小躍りしています・・・。いろいろな分野の方にお読みいただければなあと思っていたので。もちろん、「学術界」という特殊な世界にいらっしゃらない方にも。難しいことはなにひとつ書いていませんし、平易なことばでしか書いていませんので、価格とぱっと見に惑わされず、図書館ででもお手にとっていただければ。
そういや、私の原点である東京女子大学の図書館に寄贈しそびれたままだった。大学としてはあまり好きな大学ではなかったので「買いたければ買ってくれ」くらいの気持ちでいたけれど、そこで出会ったひとりひとりのおかげで今の私がいるわけで、今度出勤したときに1冊持って行こう。
]]>若手の方から書評をいただくのはとても嬉しいことです。かくいう私は「永遠の若手」(自虐的な意味で・・・)かもしれませんが・・・。
日本文化人類学会誌『文化人類学』83(3)にて、土田まどかさんに。ありがとうございました!
それから、未刊行なので具体的な情報は伏せますが、某関西方面の大学のWeb刊行誌でも別の方に書評を書いていただきました。6月に刊行予定と聞いてます。こちらには1ヶ月の限られた期間でリプライ原稿を求められ、3日間くらいかけてなんとか書きました。このリプライには、これまで何人かの方からいただいた拙著への評に対するリプライも入っています。
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☆遅まきながら、2人目(発表年月順でいくと、3人目)の評者、村津蘭氏に御礼申し上げます。御礼を掲載するのが1年遅くなりまして失礼しました。掲載誌は『コンタクト・ゾーン』(京都大学大学院人間・環境学研究科 文化人類学分野)11巻です。
村津蘭氏による書評:https://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/handle/2433/244007
私からのリプライ:https://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/handle/2433/244008
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上記のおふたりの見方は異なります。ですが、書いた私自身が忘れていたことを思い出させてくれるものでした。そうそう、そういう考えをもって書いたのよ!ってのがちゃんと書かれていてありがたい限り。
それにしても、みんな、だまし絵にだまされてくれてる。「絵」は画像だけじゃないんですよ!むしろ・・・。
この5年間以上もの間、ずっと私的なことでぼろぼろになってましたが、この1ヶ月くらいでようやくもちなおしてきました。まあ、私もさされないようにしないと・・・(棒)。
]]>ついこの間、国立国会図書館では、社会福祉に入れられていたはずだったのだが、今日見たら違っていた。幻覚だったのか社会福祉に放り込まれてたの・・・。
これを機会に、『いつも躍っている子供たち : 聾・身体・ケニア』がどこに配架・分類されたか一覧にしてみようと思う。
「日本十進分類法(9版)」を参照します。
https://www.osaka-med.ac.jp/~tosho/e/NDC9_shintei.pdf
※なお、某ジュンク堂では、人類学の棚にありました。
※どうやら、図書館に入るものは、分類標目を2つまで付けられるようです。
・国立国会図書館:801.9(「800 言語 二つの言語を扱ったものは,801/809 ではなく,二つの言語のうち,日本人にとって疎遠な言語の下に収める;三言語以上を扱ったものは,801/809 の下に収める」)
(特記していない図書館では、件名が、ケニア/聴覚障害/コミュニケーション/手話/ボディランゲージ)
書評を書いていただけたらと思います・・・。思考が若い方、冒険心のある方、ご自身の研究にひきつけて読んでくださる方を望みます。
]]>今週中に私から届かなかった方は、申し訳ありませんがお近くの図書館などでご覧ください。なお、まだ流通していないみたいです(汗)
で、早くも何人かから反応をいただいているのですが、たいていタイトルの字を間違えます。タイトルに入っているのは「躍」という字です、念のため。
]]>保育園も奇跡的に決まりました。
「大学教員の仕事は、1コマ90分の枠内だけではない」ことを証明するため、書類作成にご協力くださった皆様、心から御礼申し上げます。
郵便受の前で封筒を開いて号泣しましたよ。保育園が決まったくらいで泣かなければいけない世の中なのです(そばにいた子供はポカーンとしていたので、「人間、あまりに嬉しいときは泣くこともあるんだよ」と教えてやりました)。
くっそ忙しい11月に、2人分の書類準備・作成に相当な時間を取られましたからね。それを完遂できたのは、身内以外のみなさまが支えてくださったおかげであります。
]]>発行は今月内ですが、本格的に流通するのは4月以降になりそうです。
(私のところにまとまってくるのもそのようなので、関係者のみなさまにはその頃に・・・)。
『いつも躍っている子供たちー聾・身体・ケニア』(2018、風響社)。検索してもまだヒットしないと思います。
きわめて真面目なトンデモ本です。執筆作業でこんなに楽しかったことはいままでにありませんでした。(就職のことを考えるのはやめました。)悔いはありません。よくあの怒涛の日々の中、走りきったと我ながら思います。12月の時点では半分諦めていました。
まだ見本も届いていない状況ですが、最後まで支えてくださった風響社のスタッフのみなさまには心より御礼申し上げます。本当にご面倒をおかけしました(いわゆる「写真」が、376組もありますし)。
私は3月末にかけて、海外・国内出張とそれに伴う雑務でつぶされそうなので、個別のご連絡はおろそかになります。ご連絡くださった方、ありがとうございます&返事が遅れます、ごめんなさい。
終電とともにタクシーがいなくなるところでの作業(そもそもあまりいない)。子供の成長を見届けられない毎日です(号泣)。
こんなことを書いていると今日も終電逃すぜ!
追伸:なんとか日付が変わる前に帰宅できたぜ!そして追記しました。
]]>ブツができます。関係者のみなさま、本当に本当にありがとうございます(現在進行中ではあるのですが)。ブツが手元に届いたらまたここで大々的に・・・。
]]>某大型イベントのロジ担当と保育園の申込みとが重なっていて死にそうである(実際ひどい風邪を引いている)。
某校正作業が後回しになっているのがつらい。写真500組(※枚ではない)の校正作業が含まれるからマジでやばい、本当にヤバい。
まだ着任してから10日しか経っていないんだよな・・・。
]]>子育てはおもしろい。我が家の場合、まったくの別人格なのだが、自分のお腹に一定期間いた子が、一緒に生活しているのである。楽しくないわけがない。泣いているときの方がなんだか笑ってしまえたり(ごめんな、息子よ)もザラである。
日々変化するけれども、同じことの繰り返しもある。全く同じ状況で同じタイミングで同じような反応をされても、大爆笑して楽しくなってしまうときと、イライラどころかキレそうになることもある。後者のときは、息子の反応がどうこうということではなくて、自分の方に余裕がなくなっているのが原因だ。
余裕がなくなる原因はさまざまだが、例えば書類まみれによる時間の浪費である。論文であればいつかは日の目をみるはず・・・と思えるのだが、保育園の申し込みは「隙あらば落とそう」という審査員に見せることが前提というだけで、ストレス半端ない。また、例えば16kgの息子を自転車の後ろに乗せているだけでハンドルがとられそうになるのに、薄暗い土砂降りの中、無灯火・右側通行で突っ走ってくる対向自転車とすれ違った日(たいていこういう人は、左側通行している人をにらみつけながら通り過ぎます)。チャイルドシートがそもそもでかくて自転車自体が小回りきかないのだが、これは本当に身体的に経験していないとわからないと思う(運転者の体格に関係ないです。私大柄な方ですけどそれでも息子を乗せているときに危ない場面は何度もありました)。
そんな日には、いつもなら爆笑できることも、我慢できなくなってしまいます。私の場合はスーパーの袋を自分の部屋に投げつけてしまいましたが、その先にあったのがモデムなどを入れてある木箱だったので、プレーンヨーグルトのパックとイチジクが少しかわいそうなことになりました(いずれも家族でおいしくいただきました)。親が余裕ないと、イライラは子供に伝染します。なので、そのとき私が我慢できないようなことを息子がするのは、息子のせいじゃなく直接は私のせい。
子育て自体は本当に楽しいし、発見の連続だし、学ぶことも多いのに、と思う。
]]>申込みをするにあたっての、某「確認書」について。保育園入園申込みにあたって「確認書」という名の誓約書の提出が求められます。すべての項目にチェックを入れ、保護者両名の署名が求められます。最近まで書類を(一部塗りつぶしつつ)写真で載せていましたが、諸々問題になってはと思い、一旦写真を載せるのをやめています。
私個人は、11月から新しい勤務先が加わって全部合わせるとほぼフルタイムになりますが、「就労実績が6ヶ月未満の場合は、減点対象となります。前職がある場合は前職の勤務証明書を提出することで考慮できる場合があります」って、むしろ減点されてしまう感じのことが書かれています。いいタイミングで採用決まってぬか喜びしていたけれども。「考慮できる場合がある」って、「考慮しないことを前提としています」ってことかしらね。
なお、「確認書」の文面から「64歳以下で、子供が共働き夫婦で孫がいるところに同居している場合は、ほぼ自動的に孫の世話をしてもらいます」ということでございます。64歳以下は身体的に動けないと診断された場合を除いてまだまだ働けということですね(一億総活躍!)。「孫ブルー」になるのは自分の子供たちの事情だけじゃないんですよ。
]]>書類の書式を観察してみると、なかなかおもしろい(最近書類まみれなので、書類書きを楽しむ態勢でないとやっていけない)。
いずれも、自治体の所定「家庭状況届」(1種類ではない)。幼稚園(認定こども園を含む)入園申し込みのためのものは「祖父母の状況」の欄が上から「父方→母方」となっている。ところが、保育園入園申し込みのためのものは、同じ「祖父母の状況」の欄が上から「母方→父方」の順番になっている。内訳の欄はいずれも上から「祖父→祖母」の順である。
それだけのことなのだが、なぜ違うのだろうなどと思ってしまう。保育園入園申し込みの方が「母方→父方」に加えて「祖母→祖父」の順だったらなんかもっとおもしろいのになあなどと思う。
誰が保育要員になりうるか、ということなのだろうかなどと勘ぐってしまう。深読みしすぎか?
母親の立場からいえば、祖父でも子供を預けて安心できる場合もあれば祖母でも不安すぎて絶対に二人だけにしたくないというケースがあるけどな。場合によっては「全員いません」にしたいという人も出るだろうに。我が家の場合はここに書くと問題が生じるので書かないでおこう(笑)。
]]>直接学生から聞いたのだが、ちまたでよく言われているように、本当にメールをチェックしないとのこと。「メールが来てるなーと思っても、来てるなーと思うだけで中身は見ないです!」と昨日断言された。
その代わり、LINEだ。少人数の授業などでは、「LINEしか見ないので〜」と言われるので、こっちがそれに合わせるしかない。暴れる3歳児の方が説明を重ねていくと近いうちに言うことをきくようになる。メールを見てねと言っても、本当に見ない。マジで見ない。それでいて、たとえば、前年度担当した授業に出ていた学生から4月になって「去年の先生の授業でのねらいは何だったのか、就職活動で話したいと思うので教えてください。できれば早く返事ください。」などというLINEがくる(実話)。まあ、そういうことを平然と言ってのける学生は「ああ、コイツか」という学生なのだが。
昨日も、授業でファイルを添付しもらってそれをチェックする必要があって「メール見ないって本当なの?」と聞いてみたら、上記の答えが。メールが来ているのがわかっていても中身を見ない。すごいスルー能力だな、と私なんかは思う。気になって仕方がない、ということにはならないらしい。その代わり、「既読」にならなかったり「既読スルー」されたりすることには敏感なのかもしれないな。
]]>2つのことがいっぺんに襲ってきて(一方はうれしい悲鳴)、 書類まみれの毎日なので、言い捨て。
日本のアカデミズムは危機にあるのか――ノーベル賞受賞者も警鐘 news.yahoo.co.jp/feature/766
基礎研究が疎んじられている背景にある考え方と、子育てへの実質的な支援が遅れまくっている背景にある考え方って、多分同じだと思う。
(1)両者ともに「目先の生産性」と逆行する営みだから。
(2)困難に直面することが予測できるならば、やらなきゃいいだろ、という風潮だから(「金がないくせに苦労して子供産まなくてもいいでしょ?」みたいな)。
でも、私は幸運にも、諦めかけるとどこかの誰かが拾ってくれる。長い目で見てくれる人が、突然現れる。
保活もうまくいけばいいのだが。
]]>声を大にして言いたい。夫婦二人で複数勤務先(教育機関)にて非常勤をしているのだが、子供を保育園に預けるにあたって勤務時間が足りないという。
(1)まず、勤務先の人事課は、担当授業の時間のみ勤務しているという証明しか出せない。1コマ90分で週4コマだとしたら、360分=6時間/週、24時間/月しか働いていません、という証明である。しかし、就業規則や雇用契約書には「授業時間外に・・・・・・・・・・・・・などを行う」と多数の業務が明記されている。授業時間外に仕事があると明言しながら「お前は学内での授業時間内しか働いていません」と公的に言い放つ仕組みになっている。
(2)保育園に子供を預けている保護者の勤務状況は、①子供の在園資格だけでなく、②保育園への自治体からの補助金の額・受け入れる園児の人数など(←電話口で聞いたので漏れや誤解があるかもしれないが、要は保育園の運営に影響があるということだ)、③保護者に対する自治体からの月謝補助金の額に関わるとのこと。
(3)しかし、(1)のため、我が家は「保育園在園資格に夫婦合わせて届いていない」と役所から保育園に連絡があった。その際、園長先生は私たちの仕事に理解のある方なので、「大学の授業時間以外に、仕事がある」と役所の人に伝えてくださった。すると「それは大学内でのことか?」という役所側から質問があり、それに対して「大学の図書館や自宅などで仕事をしていると聞いている」と園長先生は伝えてくださった((2)と(3)は保育園の園長先生から電話で聞いたこと)。
問題は次の衝撃の一言。
役所担当者「では、図書館でどれだけ仕事をしていたか、大学図書館から証明書を発行してもらえないのですか?」
これには園長先生も呆れてフォローしようとしてくださったそうだ。「えええ?・・それは無理なんじゃないですか?」と。なんか、それを私に伝えてくださった園長先生が申し訳なさそうな口ぶりだった・・・。それと、「夏休み」は、私たちは「完全に休んでいる」と思われているようで、「大学が夏休みのときは教員は仕事ないですよね」的なことを言われたらしい。
私は、つい先日も、某ファミレスで8時間、9時間ぶっ通しで仕事をしていた。授業後に図書館で6時間以上作業をすることもザラである。ということは私が仕事(授業準備と後始末+研究)する某イタリアン格安レストランや、某中華ファミレス、某喫茶店、そして各大学図書館から証明してもらわないといけないということか。
なお、3歳になる幼児をそばにおいてできる仕事などない。家事ですら、スムーズにこなすことはできないのだ。
最近、ネット上の記事で見た(出典不明確で申し訳ない)。いわゆる「自由業」(執筆業らしい)をやっていて、取材で町を歩いたり、担当者(出版社と思われる)との打ち合わせで喫茶店を使ったりしたところ、その人の子供と同じ保育園に通わせている別の親がその姿を目撃したとかで、「あの人普段遊んでいるのに子供を保育園に預けていますが、どういうことか?退園させるべきでは?」などと役所だか保育園だかにクレームがいったそうだ。
なんという世の中なのか。ちなみにだが、1960年代、公団団地がボコボコ誕生したときに、とある団地に住むお母さんたちが「保育園設置のための運動」を展開した。そのことについて(当事者自身の手で)書かれた文献によると(いま学生に貸し出してしまい手元にないので記憶で書くが)、当時は、もちろん働いている母親のニーズもあったが、子供を早いうちから集団生活させたいという気持ちがあってそういう運動をした・・・というようなことが書かれていた。もし、このご時世で「集団生活をさせたいので、(共働きではないが)保育園に入園させたいです」などとボソッとでもつぶやいたら、大炎上することだろう。
な〜にが「一億総活躍社会」だ。例の汚い罵り言葉が私の口からも出そうになる。
保育園を増やすとか、なんだかんだ口先で言われているが、問題はもっと根深いところにある。
まとめようと思っていないのでまとまりのない文章だが、私は今回の一件でこのように言われたに等しいと受け取っている。「仕事とは、第三者の監視の下、特定の時間帯を、特定の場所で缶詰状態でおこない、対価としてカネが支払われるものである。それ以外は、仕事とは言えない。従って、この条件にぴったり合致する仕事を持っていない人の子供に、保育園の在園資格はない」。
※保育園入園資格には、一定時間以上の「共働き」のほかに、いくつかあります。この記事ではそれらはひとまず横においておいて、あくまで私の立場で書きました。
]]>始まった。最後まで走りきりたい。
]]>今年こそ。
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