ブログ(再開?)

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2012.12.17

”を”と”で”

  週末は二日間にわたって研究会。初めての熊本。市電での移動が楽しかった。

 今回の研究会で改めてはっきりとわかったこと。「映像をやりたい人」と「映像でやりたい人」との間に、超えられない壁があること。「を」の人は気をつけないととんでもないことになる。そういう人もひとまず「で」と言う。だが、「言葉でできないことを映像で」という意味で「で」しか考えず、「映像でできないことを言葉で」を全く考えないと、「映像ステキ♪(←ここまではいい、個人の勝手だ)みんなも好きになって♪(←これは無理強いだ)」という気味の悪いことになってしまう。そして、たいがい「で」がどうでもよくなって「を」ばっかりをやってしまい、さらには「を」ばっかりなことに自覚がなくなってしまう。

 ・・・私は最近「映像」という言葉を使うのがあまり好きではなくなっているので、ヴィジュアルな、にしておこう。ヴィジュアルなものと言葉とはまっこうから対立するのではない。そうではなく、質が異なるのだ。どちらも利点と限界がある。ヴィジュアルなものと言葉とを自分の研究の中でうまく配分しないと、おもしろいこと、ハっとさせられるような民族誌を提出することができなくなるだろう。

 芸人は自分で笑ってはいけないし、笑われてもダメだ。笑わせないと。

2012.12.09

現実

  教員公募の現実を思い知らされました。以前より「応募した書類が全く開けた形跡のない状態で返送されてくる」という話は聞いていました。

 今回、5月末締切だったところから返送されてきたのですが、「応募した封筒自体が開けられずに保管され、返送時に初めて開けて同封の返送用封筒(着払い伝票つき)にそのまま入れ直した」状態でした。履歴書等の書類をまとめてクリアファイルに入れるとともに、分厚い学位論文を輪ゴムで留めていましたが、クリアファイルから書類を出した形跡もなく、輪ゴムを外した形跡もありませんでした。輪ゴムは少し特徴のあるものだったのではっきりわかりました。書類の一番上に添付したカバーレターごと返送されました。「遺憾ながら貴意に添いかねる」というレターが一枚加わっていましたが。

 返送してくれるだけ、ありがたいところだと思います。返送しないというところは、封筒から取り出したらそのままシュレッダーにかけられている可能性がある(あるいは、特殊な液体にそのまま漬けられて処分される)のだと思います。

 とにかく、応募書類は開けられる前に捨てられる可能性があることはわかっていてもめげずに地道に応募していくこと、それから研究を続けて成果を出していくこと、そして何よりも人脈をつくっておくこと、すべての条件が揃わないと、教員のポストは取れないことが窺えました。常勤・非常勤問わずです。

 博士論文の印刷代が一冊3000円くらいかかってしまうことと、自力で印刷しなければならないため丸一日がかり(大学生協での簡易製本をするため、実際には最低二日かかる)になってしまうことを考えると、頭を抱えるしかありませんが、それでもがんばるしかないと思っています。それと、今回は応募と返送着払い代を合わせて、送料が3000円くらいかかりました。必要な最新の学術書が1冊〜2冊買えるくらい、応募コストがかかっています。

2012.12.03

THE AX FIGHT 再考

  授業の準備で、過去に有志で輪読したJay RubyのPicturint Culture (2000)の第4章を読み直す。議論のたたき台となっているのはTim Asch のTHE AX FIGHT (1975)。Aschの試みを「自身の思考の過程それ自体を作品にした」などと私も博論で取り上げたのだが、それ以上のものだった。同作品を「結局は客観的事実を追求してしまっている」と批判するのはたやすい。だが、Aschはいう。"...the film became a real joke."

 ここでやはり問題になるのは、「(作品が)どう見られるか」である。見る側は同作品をAschのいう"a real joke"として受け止められるだろうか。

 社会科学におけるvisual methodsの一事例として同作品を見直すと、議論の余地がまだまだたくさんあることに気づかされる。そんなわけで、おもしろすぎて徹夜をしてしまった。

2012.12.02

職業病

  こう閉じこもって授業の準備やら論文執筆やらしていると、当然のごとく視野が狭まる。なので、多少お金がかかっても、研究とは何ら関係のない人たちが集まるところにでかけるチャンスがあればどんどん出て行きたいと思う。そんなわけで、昨晩は、奨学財団のOBOG会。この会に参加するのは今回が二回目。

 そして、また今回もやらかしてしまった。どうしてもフィールドワークしてしまうのである。相手のかたのお仕事のことなどを聞き出そうとしてしまう・・・。今回もいろんな発見があって楽しかった。まだまだ未知の世界はたくさんある。

 いっぽう、私の方はケニアでのおもしろい出来事をしゃべりまくる。「ケニアの耳の聞こえない子がね、楽しげに踊るんですよ。音がないんですよ、そこには!」ということを念仏のように繰り返していたのだった。

 「どういう仕事をしているのか」を、とてもわかりやすく圧縮して話せる人ばかりでうらやましい限りだった。用意しているのではなく、自然とそういう話ができてしまうらしい。見習いたいものだ。

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