ブログ(再開?)

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2013.10.05

面倒なこと

 面倒なこと。

 入籍以来、さまざまな事務手続きに追われた。電話でも、窓口でも。そこで必ず(本当に必ずである)、こういうことを言われる。

 「えーっと、、、ご本人様でないとお手続きができないのですが」

 いえいえ、本人です。私は毎回身分証として運転免許証を提示している。なのにだ。そうはっきり言わないまでも、免許証と提出した書類と私の顔を交互に見て怪訝そうな顔をする。

 最近では、もう私から「変わった名前ですが、本人です」というようにしている。

 パスポートを初めて取得したときもひどかった。 あれは書類に性別欄が設けてある。なのに、「M」でできあがってきた。まあ、ある程度余裕をもって手続きをしたからよかったものの、本来交付されるべき日から更に2週間くらい待たされたのである。

 物心ついてからこの方、ずっとそうだった。親を恨むつもりはないが、この読み方の由来もはっきりしない。消去法でこういう読み方になったらしい。

 ・・・と、ここまでの話は、前置きである。更に面倒くさいことを今度は私自身が招いてしまった。結婚後も苗字を変えない研究者は多いし、それは理にかなっている。authorは一人でなくてはならないわけだから、〈私〉の論考なのに〈私〉の名前が複数あったら、それは別々のauthorということになる。私の場合、まずとにかく、自分の親の苗字から離れたかったという理由で迷わず新姓を名乗るようになったのだが、公募書類にいちいち「2013年○月より、新姓で発表している」とか、「吉田(古川)」と書かねばならないのが非常に面倒くさい。そしてまた、そのことが単に「姓が変わりました」というメッセージを発しているというよりも「結婚しました」というメッセージを発しているようにしか思えないので(そして、このような自意識過剰なところが自分でも嫌なのだが、こういうことをこと細かに分節化してしまうのは性分だからしょうがない)、余計に嫌なのである。

 最近、「結婚生活をマネジメントする」というような本を読んでいるのだが(笑、意外とおもしろい)、人の一生の中でいろいろ外的な影響を受けるなかでも「結婚」というのは相当大きな影響を受ける経験だ、というようなことが書いてあった。読む前からそんなことは予想済み(というか当たり前)だったわけだが、そうだとしたら、〈私〉がこれから産出していくであろう論考たちも、「結婚前」と「結婚後」で変わるのではないか、あるいは全く変わらないのか、あるいは、変わっていないのに「変わったなあ」と自分で勝手に思うのか。そういうことも考えてみたくて、新姓を名乗ることにしたのである。

 ・・・とまあ、いつかはっきり表明しておこうと思って書いてみた。ほとんどの人は「自意識過剰」と言うだろうし、私もそうだと思う。日常生活で起きているさまざまなことを、スルーしていくというよりもどんどん分節化していく(なので、よっぽど疲労していない限り、頭は常にフル回転)という習慣がいつの頃からかついてしまったので、一日が終わると本当にぐったりする。

 ときどき、(内容は上記とはまったく別のことだが)そういう分節化の過程を夫の前で口にしてしまう。夫は言う。

 「くたびれやすいのは、いろいろ考えすぎているからなんだね」

 面倒くさいのは、私自身なのかもしれない。

2013.08.21

夏休み

ようやく、ブログのみ更新。

前期の授業はとうの昔に終わっていたのだが、8月初めのIUAES@マンチェスター大学に参加する準備に追われ、バタバタしていた。

IUAESは、なんとかしのいだという感じ。視覚効果で妙にウケてしまったが、内容に関心をもってくださった方もいらして少し安堵。しかし、今度は形にせねばならないので少し気が重い。

マンチェスターは涼しく過ごしやすかった。が、たまりにたまった疲れが一気に出たらしく、扁桃腺を腫らし発熱した状態で帰国。そして某所でテストの採点。

まあ、もう、なんていうか、記述式にすると大変ですね。言っていることと真逆のことを堂々と答える学生がおり、頭を抱える。そういう学生は容赦なく落とした。救ってやろうとも思うのだが、もはや救いようがない。救えるレベルの学生は自力で余裕の点数になるので、落ちる学生は「とにかく酷い」「どうしようもない」「目も当てられない」。ほぼ毎回出席しながら何を聞いていたのだろうか。聞かないならもっとその時間を有意義に過ごせばいいのに。

そしてようやく夏休み。だが、週末お客様をお迎えするので頭の中は料理と掃除のことでいっぱい。そして今週から研究所勤務。

夏休みはこうして終わっていくのだった。

2013.04.21

教える

  先週から母校の共通科目の授業開始。学年・学部を問わない科目なので、せいぜい100人くらいだろうと思いきや、150人を超えた。アフリカというだけで集まったのか、何なのか。次回、人数が減っていたら少し哀しい。

 いずれにしてもテストの採点が大変そうだ・・・。もちろん、300人超えの授業を担当している方々からすれば何てことはないだろうが、全体の人数があまり多くはない大学でこれだけ人が集まること、しかも誰一人眠そうにならないくらい真面目な学生が多いことを考えると、大変である。

 さっそくコメントペーパーを書いてもらったが、これがまたおもしろかった。各々書いてくれたコメントを匿名で一覧にしプリントして配る予定。「アフリカについて知っていること、アフリカといって想起すること」というのが、初回のお題である。

2013.03.17

題目違い

 今週、日本文化人類学会関東地区懇談会で修士論文・博士論文発表会が行われます。

 ・・・昨日気づきましたが、プログラムに記載された博論の題目がおもいっきり間違っていました。

 「うねる、とけあう」が「とける、とけあう」というキャラメルの宣伝のような題目になっていました。某指導教員、最後までやらかしてくれました(笑)

 奇をてらった題目・・・そういわれるとそれまでですが、使い古された用語ではない語を生み出し、それによって何かおもしろいことが言えるならばと思い、このような題目になりました。最後まで悩みぬいた結果です。ただし、これをずっと使い続けようとは思っていません。

 なお、英文タイトルは“Rambling and Mingling”です。

2012.12.17

”を”と”で”

  週末は二日間にわたって研究会。初めての熊本。市電での移動が楽しかった。

 今回の研究会で改めてはっきりとわかったこと。「映像をやりたい人」と「映像でやりたい人」との間に、超えられない壁があること。「を」の人は気をつけないととんでもないことになる。そういう人もひとまず「で」と言う。だが、「言葉でできないことを映像で」という意味で「で」しか考えず、「映像でできないことを言葉で」を全く考えないと、「映像ステキ♪(←ここまではいい、個人の勝手だ)みんなも好きになって♪(←これは無理強いだ)」という気味の悪いことになってしまう。そして、たいがい「で」がどうでもよくなって「を」ばっかりをやってしまい、さらには「を」ばっかりなことに自覚がなくなってしまう。

 ・・・私は最近「映像」という言葉を使うのがあまり好きではなくなっているので、ヴィジュアルな、にしておこう。ヴィジュアルなものと言葉とはまっこうから対立するのではない。そうではなく、質が異なるのだ。どちらも利点と限界がある。ヴィジュアルなものと言葉とを自分の研究の中でうまく配分しないと、おもしろいこと、ハっとさせられるような民族誌を提出することができなくなるだろう。

 芸人は自分で笑ってはいけないし、笑われてもダメだ。笑わせないと。

2012.12.09

現実

  教員公募の現実を思い知らされました。以前より「応募した書類が全く開けた形跡のない状態で返送されてくる」という話は聞いていました。

 今回、5月末締切だったところから返送されてきたのですが、「応募した封筒自体が開けられずに保管され、返送時に初めて開けて同封の返送用封筒(着払い伝票つき)にそのまま入れ直した」状態でした。履歴書等の書類をまとめてクリアファイルに入れるとともに、分厚い学位論文を輪ゴムで留めていましたが、クリアファイルから書類を出した形跡もなく、輪ゴムを外した形跡もありませんでした。輪ゴムは少し特徴のあるものだったのではっきりわかりました。書類の一番上に添付したカバーレターごと返送されました。「遺憾ながら貴意に添いかねる」というレターが一枚加わっていましたが。

 返送してくれるだけ、ありがたいところだと思います。返送しないというところは、封筒から取り出したらそのままシュレッダーにかけられている可能性がある(あるいは、特殊な液体にそのまま漬けられて処分される)のだと思います。

 とにかく、応募書類は開けられる前に捨てられる可能性があることはわかっていてもめげずに地道に応募していくこと、それから研究を続けて成果を出していくこと、そして何よりも人脈をつくっておくこと、すべての条件が揃わないと、教員のポストは取れないことが窺えました。常勤・非常勤問わずです。

 博士論文の印刷代が一冊3000円くらいかかってしまうことと、自力で印刷しなければならないため丸一日がかり(大学生協での簡易製本をするため、実際には最低二日かかる)になってしまうことを考えると、頭を抱えるしかありませんが、それでもがんばるしかないと思っています。それと、今回は応募と返送着払い代を合わせて、送料が3000円くらいかかりました。必要な最新の学術書が1冊〜2冊買えるくらい、応募コストがかかっています。

2012.12.03

THE AX FIGHT 再考

  授業の準備で、過去に有志で輪読したJay RubyのPicturint Culture (2000)の第4章を読み直す。議論のたたき台となっているのはTim Asch のTHE AX FIGHT (1975)。Aschの試みを「自身の思考の過程それ自体を作品にした」などと私も博論で取り上げたのだが、それ以上のものだった。同作品を「結局は客観的事実を追求してしまっている」と批判するのはたやすい。だが、Aschはいう。"...the film became a real joke."

 ここでやはり問題になるのは、「(作品が)どう見られるか」である。見る側は同作品をAschのいう"a real joke"として受け止められるだろうか。

 社会科学におけるvisual methodsの一事例として同作品を見直すと、議論の余地がまだまだたくさんあることに気づかされる。そんなわけで、おもしろすぎて徹夜をしてしまった。

2012.12.02

職業病

  こう閉じこもって授業の準備やら論文執筆やらしていると、当然のごとく視野が狭まる。なので、多少お金がかかっても、研究とは何ら関係のない人たちが集まるところにでかけるチャンスがあればどんどん出て行きたいと思う。そんなわけで、昨晩は、奨学財団のOBOG会。この会に参加するのは今回が二回目。

 そして、また今回もやらかしてしまった。どうしてもフィールドワークしてしまうのである。相手のかたのお仕事のことなどを聞き出そうとしてしまう・・・。今回もいろんな発見があって楽しかった。まだまだ未知の世界はたくさんある。

 いっぽう、私の方はケニアでのおもしろい出来事をしゃべりまくる。「ケニアの耳の聞こえない子がね、楽しげに踊るんですよ。音がないんですよ、そこには!」ということを念仏のように繰り返していたのだった。

 「どういう仕事をしているのか」を、とてもわかりやすく圧縮して話せる人ばかりでうらやましい限りだった。用意しているのではなく、自然とそういう話ができてしまうらしい。見習いたいものだ。

2012.11.28

授業&取材

 本日は授業と取材の二本立て。これを書いているのは12月に入ってからだが、備忘のために。

 結論から言おう。授業も取材もグダグダになってしまった。準備はもちろんしていたのだが(むしろ入念に)、(後で指摘された通り)「右往左往し過ぎ!」だった。話の内容についての準備に加え、大学図書館でも市民図書館でも常に借り出されてしまう、アメリカの某話し方教室関係の本をブックオフで買って斜め読みしたのだが、ダメだった(笑)。

 博論の中で、私はこう書いた。「私は英語もスワヒリ語もナンディ語も手話も、結局よくわからなかった」。オチは「それでもうまくいっていた(のはどういうことなのか?)」なのだが、私は自分で書いたこの一文に次の一言を書き入れるべきだと思った。

 「日本語も結局よくわからない。(そして、うまくいかなかった)」

2012.11.25

失敗

  ゼミでの発表は失敗に終わった。集中力のなさと、穴を掘ってもぐりこんで出られなくなってしまったという失態。今回の原稿の理論部分はけっこううまくいったと書いているときには思っていたのだが、話してみるとまったくそういうことはなかったという、よくあるパターン。人前で話すということは重要なことである。

 情けないことに助け舟を出してもらうことで、当面の作業課題がクリアになった。これまで蓄積してきたことをもう一度みなおす必要あり。ということで、この週末は授業の準備をしつつ初めてつくった動画クリップを見直す。すると・・・1周2周3周・・・(年にすると5年間!)とまわりまわって、また戻った感じ。最初の直感というものがいい意味でブレていない。穴にうっすら光が射し込んだような。これを形にする。できるだけ早くしなければ。

 発表自体は失敗だったものの、得られたものが大きかった。先に進もう。

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